タイ古式のセンとチベットのツァ
- soi55msg
- 5月10日
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更新日:5月11日
バンコクのワットポー寺のセンを描いた石板(左)とチベットの医学書の挿絵(右)
タイ古式のセンの概念はけっこうふわっとしているのだけど、チベットのツァはかなり厳密。そこで、チベットのツァの位置関係を踏まえた上で、タイ古式のセンに対応する箇所を比較整理したら面白いかなと。
カンボジアの仏教遺跡にも当てはまるけど、東南アジアの中世密教文化は記録に乏しいが、チベットの文献と照らし合わせることで、明らかにできる部分は多少也ともある。12世紀にイスラームの侵入により、インドで仏教が滅びた時期に前後して、東はクメール、北はチベットに、中世インドの高度に発展した密教文化が伝わった。アユタヤがクメールを滅ぼした際に、クメールの知識が移植されたため、上座部の国であるタイの王宮に、タントリックな伝統が受け継がれているのである。センの概念も、そうした密教的伝統の片鱗なのではないかと思われる。
まずは、チベットのツァに関する文献を翻訳していく。この記事では、翻訳ができたところから逐次更新していく予定だ。
(p.216) དབྱིངས་ནི།
中央について
སྤྱི་བིའི་འཁོར་ལོ་གདུགས་ལྟར་ཕུབ་པ་སྟེ་ཁ་ཐུར་དུ་བསྟན་པ་དང་།
傘のように貫いている頭のチャクラは、下を向き、
མགྲིན་པ་ལོངས་སྤྱོད་འཁོར་ལོ་ནི་སྤྲུལ་བཅུས་པ་ལྟ་བུར་གནས་ཤིད་།
首の報身のチャクラは、蛇が絡むように横たわり、
ཁ་གྱེན་ (p.217)
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